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北九州 自然散策


2005年01月23日



何もないのもまたよし

川沿いにこんな散歩道があったの知らなかった
はっきりいって今回はネタ的に何ちゃないのである。前回のウミガメ発見はかなりインパクトあったが、まじで今日は特別発見したものは何もない。しかしあまり強烈な発見があると、どうしてもそのことばかりに意識が向いてしまう。何もない日はつまらないわけではなく、そういう時こそ自然をじっくり感じとることができるのだ。
自然は人間のことなんざこれっぽちも関心をしめしてくれはしない。アウトドアを活動フィールドにしている人は誰でも肌で感じることだ。ところが頭をからっぽにして自然に身をゆだねると、見ようと思っても見えないものが見えてくる。肩の力を抜くだけで何かを得られるなんて、アウトドアに出かけるのをやめられるわけないね。



スナメリ見つけられず

1時間せずに撤収
さて、今日は昼過ぎに北九州の祖母の家に行くので、午前中から同じく北九州に住んでいる隊長に声をかけて、一緒にスナメリの観察に行くことにした。昨晩から朝にかけて雨が降っていたが、観察場所の新門司に着いた頃にはやんでいた。波止場に立ち双眼鏡でスナメリをサーチ開始。じーっと波間に姿を現すのを待っていると、寒さが身にしみてきた。波止場には遮るものは何もないので、ビュービューと風をまともに受け続けることになる。海岸歩きは結構体を動かすので暖かくなるが、立ったままってのは本当に寒い。結局スナメリは見つけられずにギブアップ。
この場所は隊長が定点観測を続けているポイントで、これまでに多くのスナメリが目撃されている。また次回に期待することにしよう。



大河の一滴

時々野鳥も姿を現します
戻りしなに夏場に観察を行ったことのある川に立ち寄った。網などの生き物採集道具を持ってきていないので、上から水面を覗くしかない。いくらこの川が澄んでいるとはいえ、これではちょっと生き物探しは厳しい。しかし浅瀬を探していると、水の底に指の先ほどの小さな何かが動いていた。よく見るとそれは絶え間なく噴出す湧き水によって砂がモコモコ踊っている姿であった。たったこれだけの湧き水で一日に一体どれ程の水量があるのだろうか。どんなに途方もない水量を誇る大河でも、所詮はこの一滴のしずくがあっての存在だ。五木寛之の本じゃないが、一人の人間だってそんなもんだ。

 とても小さな湧き水の動画(MPEG1 : 1MB)



のんびりと散策は続く

早咲梅の中でも特に早く咲いた梅
灰色の雲はいつしか消えて、青空が広がってきた。川に沿って林の中をのんびりと散策する。沢の音を聞きながら木漏れ日の下を歩くのは実にすがすがしい。
場所を変えてまた別の川沿いを歩く。蕾を膨らませた観賞用の梅の中で、早くも花を咲かせているものもあった。春遠からじというところか。



今日最後に見たものは

肉眼では二度と見れないものが記憶の底から現れました
隊長と別れた後、祖母の家の周辺を一人でぶらぶら散歩してみた。私は小学生の頃は東京に住んでいて、毎年夏休みに祖母の家に遊びに来るのが楽しみだった。当時のこの辺は田んぼが広がり、カエルの鳴声がうるさいほどであった。私が水辺に目を開いた原点はここにあったといってもよい。一面にあったその田んぼは、今は信じられないことに全くないのである。広い道路が走り、両脇にはショッピングセンターなどの大型店が立ち並ぶ。あの頃私は夢でも見ていたかのような気持ちになる。
だが少し裏に入ると、あの当時手を引かれて歩いたジャリ道がひっそりと残っていた。ジャリを踏みしめる音を聞いていると、喧騒や車や人など目の前の全てが徐々にかすみ、やがて消えてゆく。ギラギラ照りつける日差しの下で、膝ほどの深さの小さな川に入って、魚やエビを採って遊んでいた少年の私。毎日飽きもせずに。それにしても、今もその頃も夕焼けをみるとなんだか寂しい気持ちになってしまうのはなぜかな。