水中で視力大復活


2006年7月29・30日


東京から妹親子が夏休みで福岡に帰ってきた。はちきれんばかりに晴れわたる梅雨明けの青空。そんな土日に、海が大好きな姪と甥達と一泊で遊びに行ってきた。
出発が遅れたので大渋滞に巻き込まれる。子供達の退屈が限界に達しようとした時に、目の前にぱっと海が開けた。その瞬間運転疲れも吹き飛んだ。

この海岸には私も小学生の頃によく遊びに連れて来てもらっていた。正に水辺の原点とも言える場所なのである。私がいつまでも印象深くこの海岸のことを覚えているように、姪と甥にも良い思い出として記憶に残してもらえればよいのだが。

着替えて早速海岸へ。ちょっと時間が遅くなってしまったが、まずは昼飯を食べてと。
しかし甥っ子は昼飯に一切関心をしめさず、バケツと網を持って行動を開始した。オニギリを頬張っていると、腕をぐいぐい引っ張ってフナムシを採ってくれとせかす(フナムシかよ)。後で何でも採ってやるから、昼飯くらいのんびりさせて欲しいのだが。



子供達が浮き輪で遊び始めたので、今度は私が生き物採集開始。ここは一つはりきって、珍しい生き物を見せてやろうじゃないの。
スノーケルをくわえて浮かんでみると、水面はぬるま湯のようであった。ただし濁っているので、少し沖を目指して進む。水深が深くなったところで潜水。すると3mを越えたあたりから、急激に水温が下がる。水面があまりにも暖かいだけに、この落差はたまらない(今回はウェットスーツは暑いだろうと、薄いラッシュガードしか用意してなかった)。
しかし水の透明度は一気に高まった。我慢して水中を探ってみる。そして茶色の海藻の群生の中の小さな一部分に、あきらかな違和感を感じた。
「これはもしかして・・・!?」 一旦浮上。頭の中で違和感を感じた映像を分析する。「うん。間違いない」と再度その地点へ潜水する。揺らめく海藻群の小さな一点を目指して。



昔は1.5あった視力もじわじわ低下し、免許更新時にメガネをかけなさいと言われている(毎回どうにかメガネ必須の条件は勘弁してもらっているが)。 しかしその時ばかりは、一瞬にしてはっきりと海藻にしがみついているタツノオトシゴの姿がはっきり見えたのだ。
再度潜水するが、どこにいたかわからなくなった。すごく焦る。だが、じっくり目を凝らすと違和感がまたしても感じられた。今度は浮上などしない。手で優しく海藻から外してゲットに成功。今までにタツノオトシゴは網で海藻を探っているときに偶然入っても、素潜りで見つけることなんて無理だと思っていた。それだけに嬉しいったらありゃしない。よっしゃー! もう一発違和感を感じるために潜ってみますか。気合を込めて水面と水中の温度差と闘いながら潜水を繰り返す。そして違和感は再びやってくるのであった。




水温の冷たさを、つらく感じ始めてきた。ウェットスーツさえ着ていればという後悔の念が浮かぶ。そろそろやめてもいいかなと思いはじめた頃、またしても海藻の一部分に違和感を感じる瞬間が。今度は少し自信がない。また一旦浮上して分析するも、あれは見間違いだったかな?という思いがよぎる。とにかく違和感目指して潜ってみよう。約5、6mくらいの海底についた。じっと海藻群の一ヶ所を見つめる。「うひょー! 間違いなかった!!」
それは枯れた海藻の切れっ端にそっくりなヨウジウオであった。水中における視力がすごいのか、それとも姪と甥に珍しい生き物を見せたいという気持ちが、心の中のもう一つの目を開かせたのか。とにかく素潜りという不利な条件にもかかわらず、擬態のプロに打ち勝ったのだ。しばし水面にプカプカ浮きながら、満足な気分にひたるのであった。




水槽に採集した生き物達を入れて子供達に見せる。ナベカとかアミメハギさえじっくり見たのは初めてらしく、目をまん丸にしながら水槽に顔をくっつけていた。たまたま近くにいた家族連れも、うちの水槽を見て驚いていた。やはりタツノオトシゴのインパクトは相当なものである。




夕方近くなり宿へ戻って皆で温泉に入るそうなのだが、私は夕日に染まる海を眺めたいので一人海岸へ。涼しい海風を浴びながら、岩に腰かけミュージックプレイヤで音楽を楽しむのだ。 やがて日差しが水平線に近づくにつれ、風景は柔らかくそして赤く染まってゆく。子供の頃にもここで夕焼けを見たはずだが、特に何も感じることなかったと思う。それより遊びに熱中するのに忙しかった。それが年のせいかこの頃やっと景色の美しさを、しみじみと受け止めるようになれた気がする。いいんだか悪いんだか・・・




一晩明けて、またまた同じ海岸へ。今日もすこぶる天気が良い。
しかし今日はあまり生き物探しはしなかった。浜でグーグー寝たり、ボーっとするのがあまりにも気持ちよかったので。それに飽きても今度は子供達と浅瀬で遊んだりして過ごし、結局一枚も写真を撮っていない。何ということもない平穏な一日。されど平穏さ以外に何もいらないと思った。穏やかなひと時を求めて、私はこれからも水辺を訪ねることにする。