水辺に遺された近代化の証


2007年3月3日


水つながりではあるが、水辺の生き物以外に古い橋が好きなのである。九州には文化財として価値を認められ、大切に遺された橋がとても多い。3月とは思えない陽気(最高気温21度)に誘われて、久しぶりに橋巡りをすることにした。

家を出てまずガソリンスタンドに立ち寄る。精算後「ダイコン持って帰ってくださ〜い」と新聞紙に包まれたダイコンを手渡される。オーナーが自分の畑で今朝収穫したばかりだという。ガソリンスタンドでこのようなサービスを受けるのは初めてだ。新聞紙を広げると、まだ土のついたみずみずしいダイコンが二つ。出発から間もないのに、とても良い気分になった。オーナーありがとうございます。




三瀬峠方面に向かう途中で、妙なものが目に入り、車を停めた。破壊王ゴジラを迎え撃つ、ウルトラ兄弟! ・・・とカッパ? 苛烈な死闘が今まさに始まろうとしているのに、カッパまるでやる気なし。なんかそのマイペースな雰囲気が、他人事とは思えない。




佐賀に入り筑後川に沿って有明海方面に向かって走ると、風変わりな鉄橋が姿を現す。バンザイをするかのような巨大なタワーを持つこの橋は「筑後川昇開橋」という。向き合うタワー部分に吊り下げられた数十トンのオモリを使って、エレベーターのように真ん中の道(当時は線路)が垂直に上下する、とても珍しい構造だ。

橋の管理人の方に挨拶して、しばしの談笑。橋は船の往来が激しい昭和10年頃、国鉄佐賀線(現在は廃線)と船を交差させるために建設された。今は歩いて渡ることができ、見学者向けに橋を上下に稼動させている。ちなみに小型船はそのまま橋の下をくぐれるが、味の素の工場の船だけが、今でも橋を稼動させてから通過しているそうだ。




橋の稼働時刻まで少し余裕があったので、対岸まで歩いて渡って見ることにした。橋の歩道に不思議な模様が描かれている。何かと思ったらこれは線路だ。やることが細かくて感心。




対岸から往復して戻ってきたら、ちょうど団体観光客のために臨時で橋を稼動させるところだった。目の前で静かに上昇してゆく道。その道の真下にはスプリングが付いていた。それは鉄道の振動を緩和させるための物だという。

やがて通常の稼動時間に近づいたので、川岸から上下する道を見学することにした。あらためて見ても、実に時代にアンマッチな奇妙な姿だ。役目を果たし終え、本来は全く必要性がないが、当時を知る人たちには郷愁を与え、若い世代には飛躍的に発展し続ける産業の足跡を語り継ぐ存在として、この橋はこれからも稼動し続けることだろう。

上昇してゆく道の動画




続いて昇開橋の少し川下から、河口までまっすぐに伸びる謎の石組みを、新田大橋の上から見学。川の中央に干潮時にしか姿を見せず、途方もない長さは肉眼では全体を見渡すことが困難だ。
これは
「筑後川デレーケ導流堤」。明治時代にオランダ人 ヨハネス・デ・レーケという技師の指導で建設されたものである。川の流れを分割することで水流を早め、土砂の堆積を防ぐなどの治水能力は現在も機能し続けているというから驚きだ。



本日最後のシメは荒尾にある岩本橋を見に行く。通潤橋や霊台橋、そして個人的に最も好きな大窪橋と同じく、名匠「橋本勘五郎」の手で作られたという説があるらしい。そう言われると、堅牢な作りを保持しながらも、橋のデザインに対するこだわりは、さすが橋本勘五郎らしい・・・なんてことは私にはさっぱりわからないが(笑) 誰が作ったにせよ気品を感じる美しい橋には違いなかった。