レトロと水辺と石橋と その3


2007年8月5日




早朝から行動を開始。今日のメインの目的は、大分の院内町で石橋巡りだ。

院内町の石橋は、日本最多を誇るほど数が多い。谷川が多い土地なので、当時の先進技術を注いで長くて頑丈な橋脚を持つ石橋がられることになったのだろう。これら石橋が町に劇的な利便性を与えたことは想像に難くない。
最初に立ち寄った石橋は「鳥居橋」。水鳥のように長い脚が魅力的だ。設置された看板の解説によると、地盤や水流を計算して5つのアーチの径間や橋の厚みを変えることで、強度をあげているという。美しさと強さをかねそなえた、優れた石橋である。




赤茶色のボディーが周囲の緑に映えて美しい「御沓橋(みくつばし)」。写真を撮っていたら、掃除をしている方から「橋は朝に撮影する方が綺麗なんですか?」と話しかけられた。多分こんな時間から訪れる人は珍しいのだろう。

いろいろ話しを伺うと、その方は近くにある福厳寺の住職さんで、そこにも珍しい橋があるという。今回はどんな橋がどこにあるかなどを調べてきてないので、とても良い情報を得ることができた。早起きしたおかげだ。




住職さんに教えられた道順を通って福厳寺に着いた。さて橋はどこかな・・?・・橋など見つからない。おかしいなぁ。 ふと見ると気になる看板がある。「閻魔洞」と書かれている。閻魔ってあの閻魔様? 岩の空洞らしきものがあり、その奥に目を凝らすといらっしゃいました。閻魔様が。
せっかくなのでお参りしたかったが、入り口に木の衝立があって入れない。どけられないことはないが、お寺の物を勝手に動かすのは気が引ける。
あれ? ひょっとして衝立の先にあるのが石橋? よく見たら「羅漢橋(らかんばし)」と書いてある。想像よりはるかに小さくて気付かなかった。





日が高くなるにつれ、じりじりと暑さが増してきた。橋もいいけど、水辺が恋しい。どこか涼しい川原にでも行こうかな。とか考えていると、まぶしい青空が広がってきた。そんな時に見つけた橋の名が、この雰囲気にぴったりな「水雲橋(すいうんきょう)」だった。




橋巡りは中断して涼しい水辺で生き物観察をしたくなった。ちなみにこの川の上流部はオオサンショウウオの生息地ということである。特別天然記念物ゆえ採集は無理だが、どんな場所にすんでいるか川の様子だけでも見てみようと思う。

川の最上流部付近まで行ってみたが、ここはすさまじく谷が深く、川への接近は死を意味しそう。もし川に落ちたら絶対に上がれそうにない。そんな険しいところだから、彼らが何千万年も変わらぬ姿で生きてこれたのだろう。

昼に近い時間になったので、「道の駅 院内」に立ち寄って休憩することにした。中に入るといきなりオオサンショウウオが水槽にいるではないか。台風の時に流されてきた固体を一時保護しているらしい。まさか実物が見れると思わなかった。写真はオオサンショウウオの顔です。小さな右目と右手が見えてます。




適当に移動しつつも石橋の場所を示す看板があちこちにあるので大助かり。この「大畑橋」も目立つ看板が道路わきにあった。ところが川など全く流れている気配がない。集落の奥に橋があるような雰囲気でもない。おかしい。先ほどの福厳寺にある羅漢橋の件もあるから、大きい橋であるという先入観を捨てているのだが、やはりみつからない。看板から遠いはずはないが、そこにあるのは溝だしなぁ。
うっ・・・あった。小っさいけど確かにアーチ型の石橋だ。




いい感じの小道を歩いて行くと、木立に覆われた「久地橋(きゅうちばし)」があった。アーチ型の橋が多い中、この橋は二本の長い石を谷に渡し、その上に石板を並べた一見するとシンプルに思える構造である。しかし見た目はシンプルでも、狭い場所に重量のある巨大な石を渡すのは、相当な苦労があったであろう。谷川の自然に実にしっくりと調和した雰囲気の良さが気に入ってしまった。

小道を戻っていたら、地元の人が水路で洗い物をしていた。院内町の人は皆、とても気さくに話しかけてくる。町の自慢の石橋を見に来てくれることが、すごく嬉しいようだ。石橋だけでなく町全体に、素朴さと暖かさ、そして風情があふれる素敵な場所だ。




院内町を後にして、石橋巡りの締めくくりは石橋界のボスキャラと行っても過言ではない、8連アーチ型の「耶馬溪橋(やばけいばし)」のある中津市にやってきた。有名な観光ポイントである「青の洞門」から少し下流にあるこの橋は、大正12年に建設され、石橋の中では日本最長を誇っている。これだけ巨大な橋だが、青の洞門に感心が向いている観光客のほとんどが、存在に気付かないのではなかろうか。今回の石橋巡りの中で、妙に一番地味な印象を受けた橋であった。